この記事は今でも生きているUKのソーシャルクラスと出身地によって異なる様々なイギリス英語について、日本人である私が体験した範囲のできごとを書いたものです。海外とのやり取りをする日本人ビジネスパーソンにはぜひ知っておいていただきたい、イギリスの一面です。
映画『ダウントンアビー 新しい時代へ』現代にも通じる親の老い、遺産相続、キャリアチェンジ、既婚者の恋愛
昨日、映画「ダウントンアビー 新たなる時代へ」を観てきました。
サブタイトルに「新たなる時代へ」ってこれは何か起きそうだぞーという感じだったのでそそられたのが理由のひとつです。
ストーリーももちろん、今の時代にも通じる、人生のヒントが沢山ありました。
現代に通じる親の老い、遺産相続、キャリアチェンジ、既婚者が出会う思いがけない恋愛。
私にはさらに、もう一つ別に興味のあることがありました。それは社会階層。
いわゆるソーシャルクラスの英語の違いです。
実際、ダウントンアビーの貴族たちと彼らに使える使用人たち、南フランスの英語を離す貴族たちの発音やアクセントが様々で興味深かったです。
発音やアクセントは社会階層と出身地によって違います。私も初めて英語を話し始めた当初は知りませんでした。
私が職場で実際に出会ったソーシャルクラスにまつわる原体験
私の原体験というのは日本経済がバブル真っ最中の1980年代中ごろから後半にかけてです。今から今から30年以上まえにイギリス人ばかりの職場にいたときに、ソーシャルクラスはが今でもまだあるんだという驚きを体験しました。
まずその話に入る前にソーシャルクラスとはなにかという話です。
イギリスのソーシャルクラスは本当にざっくり分けると下から労働者階級と中流階級と、上流階級に分けることが出来ます。
中流階級は更に3つに分ける場合があります。
階級があるからと言って上に居る人達が下の人たちに対して差別をするという言ではなくて、生活全般が一生を通して区別されている。お互い交わらないということです。
読む新聞は労働階級ならタブロイド版。例えばデイリーミラー。ロイヤルファミリーのスキャンダルなどを派手な写真とどぎつい見出しで取上げます。スポーツは中流以上ならクリケット、労働者階級はイギリス英語ではFootballと呼ぶサッカー。
イギリス人と世間話をするときに、労働者階級出身でない人がほとんどのビジネスパーソンはサッカーの話はしません。とはいえ、日本ではクリケットが普及していないので、クリケット、サッカーの話題は避けたほうがよさそうです。
他に英語の発音、トーン、使う単語も全く違います。
私がイギリス人の職場にいた当時、4人いたダイレクターのうち1人が大学院に行くために国に帰ることになって、空いたポジションに昇格したのが英語講師のひとり、Sさんでした。
彼は労働者階級出身の人だったのでイギリス人同僚たちの中でかなり話題になりました。彼の英語は労働者階級らしく、私が初めて聞く、にぎやかで感情の起伏が激しいものでした。Bloody f★cking, という言葉がそこかしこにちりばめられていて、度が過ぎるときはに私は英語ができない日本人の特権を装って
Excuse me? (今、なんて言ったの?)とわざと聞き直すと、彼は言い直したりしていました。
その昇進事件が私がソーシャルクラスがまだあることを知った最初の事件です。
当時イギリスの大学進学率は7%。労働者階級の人は15歳くらいで受ける学力テストでだいたい将来の方向が決まります。普通は大学には行かず美術学校や、工芸学校に進学します。社会の中で大卒と言えば普通は中流階級以上です。
Sさんのお母さんはシングルマザーだったそうでクリーニング店で働きながら彼を育て、本人も勉強を頑張って大学を出ました。そして英語教師になって日本に来てダイレクターに昇進!だからかなり話題になりました。
彼らの中にデスクを置いて、総務全般をしていた私は、イギリス人同僚たちが本人の前では何も言わないのに、悪口ではないけれど異例の人事にいろいろ言っているのは驚きでした。日本だったらがんばって認められて「成りあがる」のは美談なのに。と思ったものです。
そして二つ目の私のソーシャルクラスとの出会いがあります。ある冬、そのSさんも含めた5人くらいで石打丸山に日帰りスキーに行ったときのことです。
前からダイレクターだった人と、2人乗りのリフトに腰かけてゲレンデを上がるうちに彼が小さな声で言うのです。
「ゆうこがいなかったら、僕は多分Sさんとスキーに来ることはなかっただろう」
初めはいったい何の話か分かりませんでした。でもちょっと考えたら、あ、ソーシャルクラスのことだ。と初めて気づいてびっくりして忘れられない思い出になりました。一緒に居てもそんなことを考えているのか、と。
出身地による英語の発音の違い
イギリス人の英語はひとそれぞれユニークな特徴を感じるものが多いです。それは先に挙げたソーシャルクラスに掛け算することの出身地によるものです。
私がロンドンに居たころ友達がイーストエンドのミュージカルに連れて行ってくれました。CHICAGOでした。その時、座席で開演を待っていたところ、友達が私に耳打ちをしました。
「木綿子、左の前の方のグループの人たち、マンチェスターから来た人たちよ」この時のマンチェスターの発音も日本式に平坦なものと全く異なり、語頭に思いっきりアクセントを置いた MAN-chester でした。
「え?なんでわかるの?」って聞き返したところ、アクセントでわかると言うのです。
そういえば私が学生寮で一緒に住んでいたフラットメイトのひとりも、ロンドンから北東に行った海外沿いのHullという街の出身でした。その街以外でHullの出身者に遭うとHullの出身者だと分かる!と言っていました。日本でも、あの人は東北、この人は関西、彼は九州くらいは分かりますよね。でもそれと比べ物にならないくらい街ごとに独特のアクセントがあるようです。
そういえばダウントンアビーの使用人の人たちのアクセントもみな労働者階級なのに同じではなく、一人一人違っていて、あれっ?と思う瞬間がありました。
私の英語の発音? Slightly British とよく言われますが、いろいろな国の人と25年以上に渡って、かなり近しく仕事をしたおかげで混ざっているようです。意識すればややアメリカ寄り、イギリス寄りにすることはできます。
昔、NY本社の人事ミーティングにでて、即興で日本の人事の採用にまつわる課題を話すことになったときは、かなり意識的にイギリス寄りで話したところ、話し終わるや否やDirectorから
”Yuko, keep your language. (木綿子、あなたの言葉を大切にしなさい)”
と一言コメントをもらってから話の本題に戻ったことがあります。
実はこのDirectorからのひと言は、元々サラリーマンだった人事一筋の人事バカが、日本第一号で英語のパーソナルトレーナーというを仕事を作って開業するにあたり心の支えになったことのひとつでもあります。
現在では、あまり意識せずに英語を話すからか、親しくなった英語圏の人から「どこで育ったの?見かけは日本人だけれど、本当は何人?」と言われることもあります。
私自身は多国籍の人たちの中で誰にでも伝わりやすいシンプルで、仕事をする人間としての品位がある英語ならよし、としています。